鉄道唱歌 北陸編の歌詞を、わかりやすく解説してゆきます!
初心者の方や詳しくない方にも、楽しめるよう解説してゆきます!
↓まずは原文から!
皆此町にあつまりて
海の外までひゞきたる
その産物は九谷燒
さらに読みやすく!
みなこの町に 集まりて
海の外まで 響きたる
その産物は 九谷焼
さあ、歌ってみよう!
♪みなこのまちにー あつまりてー
♪うーみのほかまで ひびきたるー
♪そのさんぶつはー くたにやきー
和倉温泉駅→七尾駅→津幡駅
(IRいしかわ鉄道線)
津幡駅→金沢駅
※鉄道唱歌に関連する主要駅のみ表記
今も昔の情緒・風情が残る、金沢市
石川県金沢市は、人口約46万人を擁する、石川県の県庁所在地です。
また、北陸地方最大の都市でもあります。
戦争の空襲の影響受けなかった金沢
金沢は、太平洋戦争(大東亜戦争)のときに空襲の対象になりませんでした。
そのため、歴史的な建造物や街並みが現代でも残されています。
これは京都などの歴史的都市と同じことがいえます。
金沢は京都や奈良と同じように、文化的に重要な都市であるとみなされていました。
そのため、空襲対象から除外された、という様々な説があります。
日本の主要都市のほとんどは空襲のため、昔の町並みは残っていない
日本各地の主要都市は、戦時中に空襲で壊滅状態になりました。
そのため、江戸時代以前の古い家屋は、町の中心部に残っていない、ということが一般的です。
例えば、原爆投下の対象となった広島市の中心部には、江戸時代の家屋はまず残されていないでしょう。
しかし、
- 金沢
- 京都
- 美観地区で有名な、岡山県倉敷市
などの町においては空襲の被害を受けなかったことから、現代でもその風情ある街並みや家屋が残されている、というわけです。
金沢で有名な伝統的な街並み
金沢でも有名な伝統的な街並みである「ひがし茶屋街」は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
そこには美しい茶屋の建物たちが立ち並び、また石畳の道が続くという、とても風情のある町並みが特徴です。
- ひがし茶屋街:金沢で最も大きな規模を誇り、また最も有名な茶屋街です。
- にし茶屋街:「ひがし茶屋街」に次いで規模が大きく、落ち着いた雰囲気の茶屋街です。
- 主計町茶屋街:金沢市を流れる浅野川のそばに位置しており、浅野川のせせらぎが素敵な、風情ある街並みが魅力です。
重要伝統的建造物群保存地区とは何か?については、こちらの記事(当サイト)でもわかりやすく解説していますので、ご覧ください。
江戸時代における「茶屋」とは?
江戸時代における「茶屋」とは、現代でいうと喫茶店やカフェのような場所です。
茶屋は主に、
- メインルートとなる、いわゆる「街道」の近く
- お寺や神社の境内
などといった人がたくさん集まる場所において、旅人や参拝客が
- 休憩してお茶を飲んだりする
- 軽食をとったりする
ための場所として利用されていました。
外国人観光客からも多く愛される、金沢
金沢は京都と同様に、そういった日本文化を堪能できる場所であるため、多くの外国人の方々が観光に来られています。
ちなみに私が兼六園を観光したときは、日本人は私だけだったこともあります(^^;)
京都でも同じような経験もしました。
金沢のまち「香林坊」
兼六園付近の香林坊という金沢市街中心部では、外国人の方々が多くおられる印象です。
なお、香林坊とは、
- 昔、香林坊というお坊さんが、
- 還俗(山で修行していた身から、一般の世の中に戻ること)をしたときに、
- この地域で商売をやって、成功した
ことから、この地域の名前の由来になったそうです。
金沢では、200円の宿泊税がかかる
また、金沢に宿泊するときも、京都と同様に200円の宿泊税がかかります。
旅行の予算計画を立てるときは、一応これは念頭に置いておきましょう。
金沢は、
- 北陸新幹線の開業により、東京からのアクセスが格段によくなったこと
- 訪日外国人による、日本国内での消費(インバウンド消費)の重要性が高まったこと
もあり、金沢の観光の重要性は増していくばかりだといえます。
金沢城の「鼠多門」

金沢城・鼠多門(石川県金沢市)
金沢城の鼠多門は、かなりインパクト大な門です。
また、多くの外国人観光客の皆さんも写真を撮りながら大喜びされていたので、いかに人気なのがよくわかります!
かつて金沢に置かれた「第九師団」
そして歌詞にあるように、金沢市には
- 第九師団
という、かつての日本陸軍の拠点が置かれていました。
明治時代に発せられた「廃城令」
明治時代になると「廃城令」といって、日本全国の多くの城は取り壊されました(※)。
※ただし城跡は、日本各地に残っています。
しかし、軍事的に価値があると判断された城は残され、軍隊の「師団」が置かれることとなりました。
なぜお城に師団が置かれたのかというと、明治時代においても、お城の本来持つ
- 「防御力」
- 「軍事施設としての機能」
は、やはり捨てがたかったからでしょう。
明治時代、軍事的に価値の高い城は壊されず残された
お城は基本的に、お堀・土塁・城壁などのバリアーで守られています。
そのため、それだけで一定の防御力は持っています。
また、お城はかつて武士たちが造ったものですから、
- 軍人を統括・管理したりする
- 作戦を立てたりする
など、戦いに必要な設備は、ある程度整っています。
もちろん、お城は戦闘機で上空から攻められたらひとたまりもないでしょう。
しかし、まだ戦闘機が一般的でなかった明治時代には、
- お城が本来持つ、こうした防御力
- 軍事設備として役立つという要素
は、明治政府にとっても大きかったことでしょう。
その他の城に置かれた「師団」
鉄道唱歌に関係あるところでは、当時の大日本帝国陸軍の師団は以下の通りです。
- 北海道旭川市→第7師団
- 宮城県仙台市→第2師団
- 石川県金沢市→第9師団
- 大阪府大阪市→第4師団
- 広島県広島市→第5師団
- 熊本県熊本市→第6師団
なお、「師団」とは、軍隊の細かいチーム分けをした単位のことをいいます。
石川県の名物「九谷焼」
「九谷焼」は、石川県を中心に発展してきた焼き物です。
「焼き物」とは、昔の人々の「手」によって心を込めて(高度な技術で、手間暇かけて)造った食器(陶磁器)のことです。
昔は現代のように、例えば「ダイソー」や「セリア」等のような100均では、高品質な食器やマグカップ等は買えないような時代でした。
そのため職人の手によって、多大な工程や手作業によって造られていたのです。
しかも、原材料となる陶石も、産出される場所が限られていました。
そのため、どこでも造られるわけではありませんでした。
その他の地域の有名な「焼き物」
代表的な陶磁器と産地は、以下の通りです。
- 有田焼(ありたやき:佐賀県)
- 備前焼(びぜんやき:岡山県)
- 瀬戸焼(せとやき:愛知県)
- 美濃焼(みのやき:岐阜県)
- 大堀相馬焼(おおぼりそうまやき:福島県)
「美濃焼」は、岐阜県多治見市を舞台としたアニメ「やくならマグカップも」によって認知度が高まっています。
詳しくは、以下の記事をご覧ください。

こうした伝統的な食器類は、近代以降の産業革命によって、機械で大量生産できるようになりました。
その結果として、安い値段で売れるようになったのでした。
そのため、伝統工芸品としての焼き物は衰退していくことになります。
後継者不足に悩む伝統工芸品と、将来への取り組み
しかし、当時としては無用となったものであっても、100年も経った現在では別です。
伝統工芸品は、現在ではとても珍しく貴重なものとなっています。
今では昨今の後継者不足もあり、こうした伝統工芸品を造ることができる人も減少しています。
そのため、存続に向けた取り組みが、全国の自治体によって行われています。
その他の「金沢名物」
ここからは、鉄道唱歌に取り上げられていない、他の金沢の名所・名物についてもいくつかピックアップしていきます。
- 神社なのにステンドグラスがあり、ライトアップもされる尾山神社
- 日本一の生産量を誇る、金沢の金箔
- 金沢の有名な図書館
- 江戸時代から伝わる友禅染の技法・加賀友禅
神社なのにステンドグラスがある!? 尾山神社
金沢市に存在する尾山神社は、神社なのにステンドグラスがあることで知られます。
また、尾山神社は夜にはライトアップされることで知られます。
尾山神社のライトアップは、国の重要文化財に指定されている神門が対象となります。
尾山神社は、
- 加賀藩・初代藩主であり、「百万石の大名」としても有名な前田利家
- 妻の、お松の方
を、神様として祀る神社です。
金沢の「金箔(きんぱく)」が有名な理由
金沢は、国内における金箔の生産量の大部分を占めており、金箔の街として知られています。
金沢が金箔で有名なのは、
- 加賀藩の前田家が、金箔の製造を奨励したこと
- 北陸地方には浄土真宗が多く、仏壇に必要な金箔の需要があったこと
- 金箔を製造するのに適した、石川・金沢の気候・土地
- 職人たちによる、粘り強い気質
江戸時代初期には、前田家が金箔製造を奨励したことによって、多くの金箔職人が金沢へと集まってきました。
それにより、金箔製造が発展してゆきました。
また、浄土真宗において仏壇、特に「金仏壇」は、金箔による装飾が特徴的であり、金箔を多く使用します。
これは、浄土真宗の教えで、
- 金は清浄なものとされているため
- 極楽浄土を象徴すると考えられているため
になります。
金沢は「図書館」でも有名
金沢にある金沢海みらい図書館は、2012年に
- 「世界で最も美しい公共図書館25選」
にも選ばれたことで知られます。
江戸時代から伝わる友禅染の技法「加賀友禅」
石川には、江戸時代に前田家のサポートによって発展してきた、加賀友禅という独特の染物の技術があります。
加賀友禅が盛んな理由は、
- 江戸時代からの加賀藩によるサポート・奨励
- 京都から伝わった友禅染の技法が、加賀ならではの独自の発展を遂げたこと
などが挙げられます。
加賀友禅は、江戸時代に加賀藩・前田家のサポートと奨励によって、大きく発展してきました。
そして、加賀友禅による
- 伝統の発展
- 加賀藩に対する経済的な貢献
は、大きなものであったと言えます。
加賀友禅によって産み出された利益は、加賀藩の財政に対して、大きく貢献したのでした。
金沢では、弁当も傘も忘れてはいけない
金沢では、
という言葉があります。
金沢は日本海側にあるため、天気の変動がとても激しく、とても雨が降りやすいです。
天気予報が変わりやすいため、例え弁当を忘れたとしても、傘を常に携帯することが推奨されています。
もちろん、弁当も忘れないように気を付けたいものですね。
次は、白山・小松方面へ
次は、いよいよ金沢を離れ、
- 白山市(はくさんし)
- 小松市(こまつし)
方面へ向かっていきます!
コメント